2014年12月2日火曜日

第4回U26集会申込要項について

みなさんこんばんは。
広報の赤坂です。

集会の申込要項をブログから確認、ダウンロードできるようになりました。
リンク、もしくはブログタイトル下のページ選択のところから
要項ページへと進んでみてください。

みなさまのご参加、心よりお待ちしております!!


2014年11月23日日曜日

第4回U26集会要項発送!!

主の平和。
東京教区の鈴木みのりです。


今週の月曜日に
•2013年度のU26報告書
•2014年度の運営委員メンバー紹介
•2015年2月に行う第4回U26全国集会の要項
を発送させて頂きました。作成作業が遅れ、皆様にお届けするのが遅くなってしまい申し訳ありません。
そろそろお手元に届き始めるころでしょうか?^o^



この書類たちは、U26集会に参加した事のある青年はもちろん、全国の教会にも一部ずつ届くよう送っています。
U26世代の青年だけで無く、より若い世代の方や26歳以上の方にも興味を持って頂ける、またU26について知って頂ける報告書になっています。
いつもU26を見守ってくださる大人の方々や、まだU26を知らない方々、名前は知っているが全国集会で何をしているかわからないと感じている方々に読んで頂けたら幸いです。


また、今回作業場所としてホールをお貸し頂いた浅草聖ヨハネ教会様、聖アンデレ教会様、作業を手伝って頂いた東京教区・横浜教区の青年のみんな、アンデレ教会の信徒の皆様、本当にありがとうございました!
青年だけの力ではここまでスムーズに作業を終わらせることはできませんでした。子どもから大人まで一緒になってワイワイと作業できて楽しかったです。感謝しています。



以下作業風景の写真です。



聖ヨハネ教会で冊子作り




アンデレ教会での最後の追い込み
U18•O26の仲間にも手伝って貰いました!


宛先は一つ一つ手書きです。


アナログですね…。




たくさんの力を借りて作られた2013年度のU26報告書、より多くの聖公会の仲間の元に届くことをお祈りしています。



東京教区 聖アンデレ教会 
カタリナ鈴木みのり

2014年9月27日土曜日

日韓青年セミナー

どうも、京都の柳原です。
811日(月)~15日(金)に仙台にて開催されました、第7回日韓聖公会青年セミナー2014に参加してきたので、その様子をお伝えいたします。

初日、日本側参加者11名、韓国側参加者12名、スタッフ10名が集まり、柳時京先生の説教による開会礼拝にて始まりました。
その後、アイスブレイクとして韓国のゲーム「マニット」(日本語で言えば守護霊?)を行いました。これはくじを引いて、そこに書かれている人をセミナー中にばれないようにサポートをするというゲームです。
このゲームを通して、日韓の青年が仲良くなる場面が創りだされていました。
その後セッション1にて、いっしょに歩こう!パート2の報告を東北教区の青年がしてくれました。
彼の震災当日の体験談、震災当時の被災地の様子、いっしょに歩こうプロジェクトの活動などを写真を交えながら話してくれました。
韓国側からは、ミリャンという地域で起こった原発からの送電線建設計画での住民と政府の間で起こった出来事を話してくれました。
日本でも韓国でも弱いところに原発が置かれ、その地域の人々に負担が押し付けられている現状は同じようです。



韓国側青年の報告



2日目

朝から会津放射能情報センター代表の片岡輝美さんに「原発事故の向こうに見えること~いのちを守る活動から~」という主題で講演をしていただきました。
放射能汚染の恐怖や福島に住んでいる子どもたちの話、また原発事故が起きてから避難をするまでの片岡さん自身の葛藤や周りの方々との間に起こった出来事などを話してくださいました。
質疑応答の場面では、「福島に来てくださいとのアピールなどがあるが、どのようにとらえていますか」など様々質問が日韓の青年達から出ていました。
放射能という目に見えない恐怖と戦っておられるのが印象的でありました。
空気中に放たれた放射性物質、それが地面に落ち、水や野菜までをも汚染し、また、汚染されているのではないかという不安に駆られながら生活をされておられます。
ガイガーカウンターや野菜に入った放射性物質を検出する機械などを駆使しながら、安全を確かめながら生活をされている現状です。

昼からは被災地巡礼を行い、閖上(ゆりあげ)、荒浜という場所を訪れました。
津波により生徒が亡くなられた中学校や家などが押し流され、今も何もない空き地となっている場所、津波が押し寄せた高さを示す塔、また、震災により聖公会と関係を持つようになった「まどか」という障害者福祉サービス事業所などを訪れました。

この日の夜のシェアリングでは、中学校に亡くなった生徒に向けて同級生たちが机にメッセージが書いてあったのが印象的であったことや、以前にも被災地へ来たことがあるが3年経っても変わっていない、自分たちが訪ねた場所で多くの人が亡くなったと思うと心が重いと言った話が出ていました。


閖上中学校への訪問






3日目

この日も朝から被災地巡礼。
始めの方に、磯山聖ヨハネ教会を訪れました。
建物自体は無傷でしたが、地震によって地盤沈下が起こってしまったために使うことが出来なくなってしまった教会で、現在は何もない状態です。しかし、ここの信徒の方々は新しく教会を建て、地域の方々へ働きかけをしようと燃えておられるとのことです。
その後、「センターしんち」に伺い、スタッフの松本さんからお話と震災1年後のドキュメンタリーを一緒に見ました。
「センターしんち」は地元の方々が集まる場所として活動されており、この日も「喫茶の日」で、私たちがおじゃましている間にも利用者の方が来られていました。
次に仮設住宅地「がんご屋」へ訪問しました。住宅地にある集会所にて、住んでおられる方からお話を聞きました。その方は漁師をされていたのですが、津波によって家や船を失い、また、家は原発から数十キロのところにあったため、現在も帰ることは出来ません。
おそらくこの先ずっと帰ることが出来ないと考えられます。
そのような状況の中でも、試験操業などをしながら生活をされており、日々を一生懸命過ごしておれる姿が見られました。
この日の最後に「ふじ幼稚園」というところを訪れました。
この幼稚園ではちょうど帰りの時間のときに津波が押し寄せ、子どもたちと先生合わせて12名が亡くなられたとのことです。
ここでの話を聞いた後、参加者からはつらい事実だという声が聞こえてきました。

この日の振り返りでは、3年経った今でも未来が見えない人々がおり、また、日々そのことを考えていかなければいけない人たちがいるということを実感させられた、これから「大人」になっていく私たちがどういったことが出来るのかなど、前日にもましてそれぞれ感じたものがあったようです。


センターしんちでの様子


4日目

朝から昼までフリータイムということで、仙台駅前にてそれぞれお土産や牛タンに舌鼓をうっていたようです。
午後からは全体でのグループシェアリングが行われ、各グループからこの4日間のまとめを発表してもらいました。
あるグループは手紙形式でそれぞれが感じたことなどを発表し、また、共感するということをダンスで表現してくれたグループもありました。
今回、震災が起こったことなどを忘れないよう、継続して記憶することが出来るようにシンボルマークを作ってはどうかという提案をしてくれたグループがありました。
韓国のセウォル号沈没事件後、この事件を忘れないために黄色いリボンがシンボルマークとなっています。また、今回セミナー中に二重にかかった虹が見られ、虹は旧約創世記のノアの物語の中では、滅ぼすことを決してしないという神からの約束のしるしとして与えられたものであります。そういったものなど今回のセミナーの中で得られたものや願いが込められて創られたのが下のシンボルマークです。


ちなみに最終的なデザインをしてくれたのは我らが松村希さんです。

この日の夜には、フェアウェルパーティーとして、色んなゲームなどが行われました。
ウインクキラー、愛してるゲーム、マニットが誰であったかの答え合わせとプレゼント交換、韓国側からのアリランの踊りの披露、日本側からは妖怪体操第一と円盤体操が行われ、楽しい交わりの時を持つことが出来ました。


全体でのシェアリング

5日目

最終日、閉会礼拝として聖餐式が千松清美司祭による司式で行われました。
この式の代祷は各グループで作られ、それぞれの思いが詰まった祈りが、韓国語、日本語で読み上げられました。


最後は、別れを惜しみながらも、また会おうという言葉が飛び交っていました。

以上、ざっくりとではありますが、日韓聖公会青年セミナーの様子をお伝えいたしました。
最初は言葉の壁を乗り越えられるか不安ではありましたが、そんなものは始めのひと時だけで、終わってみればそんなに問題ではありませんでした。
来年は韓国側で行われるようです。きっとよい体験、交わりが出来ると思いますので、U26メンバーの皆さんにもたくさん参加してほしいと思います。

最後に、一番韓国の青年達と仲良くなった京都教区からの参加者、久保田愛美さんの感想を掲載いたします。



2014年 日韓青年セミナー参加報告書
クララ 久保田愛美

 今回のセミナーで特に心に残ったことは、被災地巡礼で訪れた閖上地区と新地で見た被災地の状況と、2011年3月11日にそこで何があったのかというお話を聞いたことです。閖上地区の閖上中学校では、そこに通う14名の生徒が亡くなり、校舎もとても使える状態ではありませんでした。校舎の前にある慰霊碑の横に落書きされた机が置いてあり、そこには『津波を忘れても14人のことは忘れないでほしい。ずっと一緒だよ!』と書かれてありました。私はそれを見続けることも、写真を撮ることもできませんでした。中学校の周りには当時のままの家やガードレールしかなく、とてもそこに人が多く住んでいたとは想像もできない状態でした。港の近くには津波の高さを示した慰霊碑があり、その高さに驚き、また恐怖を感じました。閖上地区は見渡す限り平野で、その慰霊碑よりつまり津波の高さより高い所はどこにもありませんでした。
 新地では、ふじ幼稚園というところへ行きお話を聞きました。津波があった日、園児を乗せた2台のバスが幼稚園を出る前に津波に流され、先生1名、園児11名が亡くなったそうです。その日、なんとかバスの上に上がり救助を待った先生と園児たちは、寒い中意気消沈していました。しかし、そんな園児たちを見た先生はずっと歌を歌って励ましてあげていたそうです。その話を聞いたとき、将来保育士になろうと思っている私ですが、そんなことができるのだろうかととても不安になりました。今助かった先生たちは、亡くなった子の保護者から訴えられ裁判になっているそうです。当日どんなに頑張っても失われた命、それをわかっていながらも訴えなければいられない保護者の心境、それらは3年経った今でも変わらず続いているのだと知ったとき、もっと寄り添う心を忘れてはいけないのだと深く反省しました。
 帰ってきてからのグループシェアリングでも、忘れられないことがありました。メンバーの一人が、その日私たちが新地のあらゆるところを訪れる為に歩いた道、バスが走ってきた道には遺体があったのではないか、自分はどこに立っているのか、どこに向かっているのか。亡くなった人たち、生きている人たちの声を本当に私たちは聞いているのか、いや聞いていかなければならない。と発言しました。まさにその通りだと思いました。たとえ私たちの周りの人々が被災地のことを忘れても、私たちセミナー参加者は決して忘れてはいけないということを心に誓いました。